トキワ荘の時代を訪ねて ~南長崎でゆかりの地を巡る[2]
前回の続きで、トキワ荘を中心に散歩ついでにこの界隈を巡ってみましょう。
改めてトキワ荘記念碑のある花咲公園を出ると、向かって右側に小さな時計屋があります。
ここではトキワ荘グッズを扱っているとのこと。
スエヒロ時計店から回れ右して、ニコニコ商店街を「松葉」を眺めつつふたたび通り抜ける。
この界隈はほとんど昭和40年代の佇まいのまま。あまり変わってない。
ニコニコ商店街のゲート付近にはこんなレトロなバーやスナックのネオンも。
このゲートをくぐると「二又商店会」に。
ゲートは花咲公園を挟んで通りの反対側にも設置されていて、どうやらこのゲート間が「ニコニコ商店街」ということになるらしい。
二又商店会にある、「トキワ荘お休み処」。
ここで関連グッズや「チューダー飴」なんかが売ってる、らしい。
この「お休み処」以外にも、近隣にこんな施設も。
残念ながら行ったときは扉が閉まっていたので、どんな施設かわからなかったのだけれど、軒先には全国のマンガイベントの案内なんかが設置されていました。
ニコニコ商店街・二又商店会を併せた「トキワ荘通り」は閉店した店舗が目立ってて、ここもいわゆる「シャッター通り」と化しつつあるのだけれど、まぁそんな時世になんとか抗おうとトキワ荘で町おこし、というのが実情なんだよね。
ひっそりと朽ちていくのもまた風情、というのはシニカルすぎるかもしれないけれど、地元民としては静かに見守ってるのが心情かなあ。
商店街に暮らす店の主人たちには死活問題なんだけど。
で、そんなシャッター通りとなった中に、閉店した角の店があるのだけれど、
この角を曲がり行った先、上に揚げた住宅のすぐ向こう隣に在るのが、かつて赤塚不二夫がトキワ荘を出て暮らした「紫雲荘」。
この紫雲荘の場所なども含んだ周辺を説明するのになにか適当なのがないかな…と思ったんですが、こんな地図の画像をアップしてるブログもあったので引用させていただきます。
引用元■のりみブログ-「トキワ荘のヒーローたち展」スタンプラリー【その1】
紫雲荘はトキワ荘協同プロジェクト協議会で現在活用されていますね。
■トキワ荘協同プロジェクト協議会-めざせ!赤塚不二夫 「紫雲荘・活用プロジェクト」入居者募集!
※この「トキワ荘協同プロジェクト協議会」と漫画家の卵を支援している「トキワ荘プロジェクト」は別団体なので念のため。
さてトキワ荘通りに戻り先へ行くと、交番に突き当たり一方通行だったバス通りは両通行の通りへと合流。
ここが旧目白通り。
左へ進んでいけば、JR目白駅や学習院大学、旧田中角栄邸を経て椿山荘へと続く。
この二又交番を背に旧目白通りをもう少し先に行くと、大きな交差点にぶつかり、そこが環六・山手通りとの交点。
この交差点に、かつて「EDEN」という喫茶店がありました。
話によれば『まんが道』にも出てきた場所だとか。
この喫茶EDEN、3階建てくらいの、なんなのかよく分からない真っ黒い異様な建物で、幼い頃家族で池袋・目白方面からバスやタクシーで帰宅するときにいつもここに聳え立つ空母のようなEDENの威容にやや怖さを感じていたものでした。
窓もない四角い巨岩のような形状でしたから。そりゃガキには得体も知れず恐怖ですよ。
道路を隔てた側に看板が設置されてるのは、向こう側が新宿区だから、だと思う。
トキワ荘通りは豊島区のプロジェクトだからね。
喫茶エデンについての記事。
■マンガ・南長崎・トキワ荘-エデン跡
たしか、後のNHKの連続ドラマ「銀河テレビ小説」で『まんが道』がドラマ化されたときにはこのEDENの外観が映されていたんで、その頃(昭和50年代後半くらい)まではここに在ったんだと思います。
※上のサイトによると2002年に解体されたとのこと。
で、ネットを探してたらズバリ当時のEDENそのものの写真の載るサイトが。
■TezukaOsamu.net/jp -虫さんぽ
ほら、ホラーでしょ?
モノクロ画像だとアレだけど、壁はゴジラの皮膚のようなザラッとした吹付けの素材で、ツヤ消しまっ黒だったんですよこれ。
大人になってあの建物が喫茶店だったというのを頭で理解しても、幼少時に刷り込まれた得体のしれない存在への恐怖感は、いまだに消えず残っているもの。
自分にとってEDENは永遠に謎の「幽霊屋敷」のようなイメージとなったまま記憶されてたりします。
昭和の頃は、こうした“子供が立ち入ってはいけない、いかがわしい雰囲気の場所”が町にぽつねんとあったもんでしたね。
そういえば、トキワ荘通りには脇の路地にこんな小ぢんまりとした地蔵尊も見受けられます。
きっとトキワ荘に住まう漫画家たちもこの小さな祠に手を合わせたんでしょうね。
ふたたび花咲公園まで戻り、こんどは逆方面へと。
こちら側にもニコニコ商店街のゲートがある。
この近辺に軒先にタライが置かれたおうちがあるけれど、
ここがたまにツイッターのタイムラインで見かける「カエルーランド」の本拠地。
トキワ荘通りを形成するニコニコ商店街と二又商店会、それに協賛したトキワ荘通り協同プロジェクト協議会や、漫画家を育成するトキワ荘プロジェクトもそうだけど。
ホントに、今このトキワ荘通りにはいろんな人達がいて地元を盛り上げようとしています。
さて、トキワ荘通りのあるバス通りを戻っていくと、やたらと大きなお屋敷が現れてくるのだけれど、それがこの界隈の大地主、岩崎さんのお屋敷。
森のような佇まい。
ここ南長崎を中心に、椎名町あたりまでの土地を所有する、云わば町の名士、ですね。
大江戸線落合南長崎駅の上に「iTERRACE」(アイテラス)という商業施設が建ってるんだけれど、これもすべて岩崎さんの土地。
そう説明すれば、この地主の凄さがわかるんじゃないかな。
以前テレ東の『アド街ッ区天国』で東長崎が特集されたときも、ここ岩崎家はランキング入りしてたもののほとんど詳しい説明なくスルーされてたんで。まあ地主といってもあくまでもいち市民ですしね。
まあ、とにかくこの周辺の殆どが岩崎さんの土地なわけです。
なのでもちろんこの辺りの月極駐車場もみーんな岩崎さんの土地。
って考えると、その駐車場の収入だけで、いったい毎月どんだけの額になるんでしょうね…
(怖いから考えませんケド)
岩崎さん、と言っても、かの三菱財閥の岩崎弥太郎とは何の関係もない(と思う)。
でも、「昔は池袋まで他人の土地を歩かずに行けた」とか、いろいろ豪気な噂を地元では聞きますね。
もちろん世代が代わるたびに分割相続されるし、今もこのお屋敷は入口がいくつもあって何世帯かに分割されてる様子なんですが。
塀から伺える部分を眺めると、鬱蒼とした森そのものなんですよね。
実はこの周辺ではごくたまに狸の目撃情報があったりするんだけど、ひょっとしたらこのお屋敷の庭にでも住んでるのかも。
詳細はわからないけれど、やっぱりトキワ荘もその岩崎さんの土地の上に建ってたんじゃないかなあ。
岩崎邸の通り反対側の横道を入ると、この辺りは地元の子供の通う椎名町小学校。
画像を見ると判るけど、校舎から向かいの施設に向け道に歩道橋が渡されている。
これは、左の塀の内側が学校のプールで、そこへ行くための橋。
この橋が出来たのが自分がここに在校していた頃で、橋がなかった昔は目の前の道路を教室で海パンやスク水に着替えた児童たちが画面奥の通用門からプールまで列をなして歩いて渡ったもんでした。
今ならいろいろ問題あると非難されちゃうんだろうなあ。
(ペドにはたまらんロケーションだったかもしれないが)
更に南長崎通りを戻ります。
進行方向右手に「コンコン通り」という商店街が見えてくるので、そこを曲がると小さな神社の杜が出てきます。
昔は「長崎神社」と呼んでたんじゃないかナ、と思うのだけど、正式名称は「五郎久保神社」。
この「コンコン通り」という名称から、ここのご神体はお稲荷さんなんでしょうかね。
さてその長崎神社の手前のすぐ右隣、今はマンションと住宅になっている場所にかつては「長崎東映」という映画館がありました。
跡地の敷地の広さから伺えるように、長崎東映はとても小さな映画館だった。
昭和30~40年代のプログラムピクチャー華やかりし頃は、こんな映画館が都心ではほぼすべての駅前・駅近隣に造られ、2週変わりで2本立てが封切られ続けたものでした。
筆者の小学生時代はこの長崎東映で『東映まんがまつり』を封切り日の土曜の授業が終わった直後にクラスの友達とこぞって劇場に駆け込むのが日課だった。
まあ、東映館なので、たまーに東映ポルノなんかのポスターもドカンと貼られてましたが。
…いい時代だったなあ。
観なかったけど千葉チャン主演の『ドーベルマン刑事』のポスターも掲示されてた記憶がある。
トキワ荘の伝承の中では東宝系の「目白映画」のほうがフィーチャーされがちのようだけど、ここ長崎東映のほうがぜったい近かっただろうし、当時の面子もきっとここで三角マークを目にしてたんじゃないのかなぁ…と思いを馳せるんだけど。
でも、東映が高倉健なんかの任侠もので勢いをつけるのって、’60年代なんだよね。
トキワ荘グループが闊歩してたのは’50年代だから。ここでも行き違いだったのかも。
長崎東映は昭和45年頃まではあったと記憶している。
角は今は普通の住宅だけど、この家屋が建った時は1階がうどん屋で、表には大きな信楽焼のたぬきが置かれていた。
数年で廃業になって、入り口は塗り固められ今の外観に。
ついこの間までその「たぬき」が裏の駐車場の片隅に置かれてたようなんだけど、今回見に行ったときには消えてました。
さて、そのコンコン通り入口にひっそりと在るのが、「伊佐佐兵衛」の墓。
これ、念のため今回ちょっとググってみたけど、ネットにはまったく情報がありません。
けっこう「伊佐佐兵衛って誰? なんでここに墓があるの??」と、ちょいとしたミステリーじみてる様子。
実を云うと筆者はこの伊佐佐兵衛氏の子孫とかつて同じ小学校に通ってたので、この墓の主・伊佐佐兵衛についての話を若干耳にしたことがある。
とは言っても、あくまでも親同士の”PTAでの井戸端話”程度のもんなので、信憑性がどこまであるかは保証できませんが。
それによると、昔は岩崎家と並ぶほどの地元の名士だったとか。
けれど、まぁいろいろあって、現在は先の岩崎さんがここら一帯の大地主となり、伊佐家はこの「伊佐佐兵衛の墓」がかつての勢いの残影を示している、という按配。
伊佐家は今も存続していて、この近所に在るのだけれど、個人宅なので特定するのは遠慮しておきます。
現在は鳶職を仕切っていて、東長崎の駅前商店街・長崎銀座に年末に商店街に出る〆飾りの露店はこの伊佐さんのお宅が引き受けています。
そんなことから、ここ南長崎地域では昔から影響のあった家なんだろうなということは伺い知れるし、神事の一端を担っているということで長崎神社(五郎久保神社)の氏子の中でも古参だったりするのでしょうね。
今回は端折ってしまったけれど、東長崎駅前の「長崎銀座商店街」にもまたいくつか小ネタはあるし、界隈には他にもいろいろとエピソードを持った場所も多い。
詳しく挙げられなかった分は撮った画像と簡単なコメだけでちょっといくつか紹介しておきます。
こんな土蔵があるなんて、実は50年近く住んでてぜんぜん気づかなかった自分…
こうして巡ってみると、ここ南長崎界隈は、ほんとに昭和30~40年代からあんまり変わらずに残ってきた土地だったんだなあ。と改めて感じます。
考えてみれば、自分がこの地に住みはじめたときから街並みは殆ど変わってないですからねえ。
トキワ荘に若き漫画家たちが集い切磋琢磨していた頃の雰囲気がいまだに味わえる場なのでしょうね。この南長崎という地区って。
豊島区南長崎地区だけでなく隣接する新宿区落合(上落合や下落合)、練馬区江古田あたりまで足を伸ばしてみると、まだまだいろいろ風情のある場所か゛いっぱいあるんで、追い追いそんな場所をこのサイトでも紹介していこうと思います。
この連休に訪ねてみるのもいいかもね。
トキワ荘の青春 [DVD]
※でもよく知るトキワ荘の外観は出てこない。(ちなみに切々としたいい映画です)
お陰さまで岩崎さんのお宅のことが少しわかりました。 三菱財閥とは関係ないんですね(^_^;)