細田守監督『バケモノの子』から”学ぶ”こと (1)
(画像は公式サイトより)
どこかで聞きかじったのだが、『学ぶ』という言葉は『まねぶ』からきている、という。
『まねぶ』は「真似ぶ」と書く。つまり、『学ぶ』という行為は、則ち「真似」=模倣することから始まる、ということを語源は明確に言い当てている。
古来より学ぶことの本質は「師匠の立ち居振る舞いを真似る」ことに他ならない。
「門前の小僧習わぬ経を読む」の諺も、結果としてはこれと似た境遇を醸しているように思う。
技術を伝授するには、体系化と言語化が必須となってくる。教える側は己の”技”を贅肉を削ぎ、骨子を抽出した「伝えるための”型”」として磨き上げ、また言葉を用いて手本という教科書を編纂せねば「教え伝える」ことは遠回りと困難を伴ってしまう。
武道の「型」とは、技術を教えるスピードラーニングの技法なのだろう。
教えを請う側は、まずはひたすらその「型」を体と頭で覚え、”見倣う”ことで学んでいく。
だが、”見倣う”だけでは、真の技術習得には不充分だ。
『心・技・体』の言葉が表すように、この三要素を備えてこそ、始めて体得したといえるのではないだろうか。
「型」は最も大切な要素だが、「型」(かたち)だけを模倣しても、優れた達人となることは、おそらく不可能だろう。
武術の世界よりも、これは音楽、楽器演奏について考えてみたほうが判りやすいかもしれない。
いくら上手な演奏をこなしても、その演奏に「心」が入ってなければ、聴衆の心には響かない。
古の人は良い言葉を作ったものだ。
“仏作って魂入れず”。
そうであってはならないのだ。
さて、前振りが長くなってしまったが、ここからが本題。
『バケモノの子』を日比谷スカラ座で観賞。
クリエイターは『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督。その新作である。
ここに至る前3作については語りたいことも多いけれど別の機会に譲るとして、スクリーンを見ていて考えたのは、”技を教えるとはどういうことか”ということだった。
ボクにも漫画の師匠がいる。
恥ずかしながら、漫画を生業として以後にその師匠に出会い、弟子入りしたのは30代も半ばを過ぎてからである。
ボクと師匠とのエピソードは、いろいろと面白い話も山ほどあるけれどこれまた今回は割愛して、その師匠から毎日のように口酸っぱくなるほどに言われ続けたのは、やはり「漫画家としての心構え」だったように思う。
もちろん技術も手取り足取り教わった。けれど、いちばん教わったのは、その「漫画の心」だったろう。
師匠は弟子のボク達に常に言っていたのだ。「もっと漫画を好きになれ」と。
技を体得せんとするには、技を体現するための”覚悟”も必要。
師の教えは、そんなことも含んでいたのだと思う。
まあ、その仕事場があまりにも厳しかったので僅か5ヶ月で半ば逃げるように師匠の下を離れたのはボクに根性がなかったためだろう。
それでも、今も善き師弟関係を続けさせてもらっているのだが。
…あ、もっと映画について書こうと思ってたんだけど、今回は脇道が長くなったので次改めて書きます。
■映画『バケモノの子』公式サイト
http://www.bakemono-no-ko.jp/
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