ブックレビュー|佐藤亜紀『小説のストラテジー』
私はあまり学のあるほうではないので、この本に記述されていることがたぶん3割も理解できなかっただろう。
ネットでいろいろと本を探しているうちにこの書影が目に留まり、ちょっと読んでみたいと思い入手。
レビューなどから受ける印象から、小説のみならず映画など他の広範な表現に関して、何らかの参考になるかナ? とか思ったので、読んでみた次第。
だが本書は、作文やその他表現の技法というよりは”哲学的視点から文学を捉える”といったような内容のように思える。
(あーたぶんこんなことを書くだけでも『こいつ、ぜんぜん解ってねーな』とか思われるんだろうなぁorz)
…あれ? ひょっとしてその疑問じたいがこの書で言及されている「ミメーシス」と「ディエーゲーシス」の問題なのだろうか????
だいたい採り上げられている素材にしても、自分はせいぜい『ロリータ』くらいしか読んだことがないのだから。
ただ、『ロリータ』の冒頭箇所の原文が引用されていて、それが韻を踏みながら非常に美しい文章だったので、これはいつか原書で読んでみたいなあ、と思う。
やっぱり、訳文だとその文章が孕むほんとうの美しさは完全には理解できないんだろうなあ。
「ミメーシス」と「ディエーゲーシス」という概念を対比させて章が進んでいくのだけれど、まずこれを大まかに把握していないとチンプンカンプンになってしまう。
ざっくり意訳すると「模倣」と「叙述」、となるのだろうか。
たぶん「ミメーシス」の”mim”には「ミーム」と同じ意が語源となっているのだろうなぁ、とか思いつつ読み進めていったのだけれど、それって正しかったのだろうか。
うーむ。
個人的に、漫画というフィールドに在する者として、いつも”『説明』と『表現』の違い”というものは探究しようと考えてはいるのだけれど、そんな自分自身にしたって、キチンと『表現』に寄ってモノを描(書)いているのか、というとあんまり自信もないわけで。
もっと修行せねば、常々思っている。
思ってはいるが、体現できない。それが歯痒くもある。
知を蓄えたくてボルヘスなんかも読んだりもしてみてるのだけれど、いかんせん己の脳の容量やスペックもそろそろ不足しつつあるようである。
なんだか書けば書くほどボロが出てしまいそうだから、この辺りで筆は置きます。
もっと頭がよくなりたい…
[2017/08/01読了]